第37回 連合会総会 第1日目(前半)
2014年6月5日(木)
■熊本総会
2014年6月5日(木)、「火の国」熊本にてエッサムファミリー会 第37回連合会総会が開催されました。連合会総会は2年に一度、エッサムファミリー会の13の地区会を順に回りながら開催しております。今回は南九州会所属の先生を中心に、全国から約350名もの方にご参加いただきました。
3日にわたる総会の日程のうち、ここでは第1日目(記念講演会・会員総会・大懇親パーティ)について詳しくご報告いたします。
会場となった「ホテル日航熊本」は熊本市の中心街に面し、熊本城まで徒歩5分という好立地。目の前の道路に路面電車が走っていました。
■第1部 記念講演会「インクルージョン社会をめざして」(細川 佳代子氏)
「インクルージョン社会」とは「属する全ての人が、社会的立場や障害の有無、人種などに関係なく対等であり、それぞれの能力や考え方を認められ、貢献・参画している社会」のことです。日本語では「包括社会」と訳され「多様性」を示す「ダイバーシティ」の一歩先の概念として定義されています。
今回お招きした講師の細川 佳代子氏は、知的障がい者の自立と社会的参加をスポーツを通して支援する「スペシャルオリンピックス日本」の設立者であり、元内閣総理大臣の細川 護煕氏の夫人でもあります。
障がい者支援にかけてきた半生と、肥後細川氏の歴史という2つの面からお話をお聞かせいただきました。
■スペシャルオリンピックス
「スペシャルオリンピックス」(以下SO)をご存じでしょうか?会場に集まった参加者の皆様の中には、知っていると答えた方はほとんどいらっしゃいませんでした。
日本で「障がい者のオリンピック」というと「パラリンピック」が有名ですが、パラリンピックが身体障がい者の競技大会であるのに対し、SOは知的障がい者が“日常的に”スポーツに取組んだ結果を尊重しあう場です。参加資格は「①8歳以上であること ②日常的にスポーツに取組んでいること」の2つだけ。“オリンピックス”と複数形になっているのも、参加者がいつも・どこかで・トレーニングを続けていることに由来します。
SOでは「昨日の自分に勝つこと」が評価のポイントになります。たとえばある世界大会の予選のこと。知的障がいと難聴を持つ10歳の女の子は、コーチの「はじめ」の合図に気付くことができず、演技を始めることができないまま、カチカチに固まって会場に立ちつくしてしまいました。評価は最低点の4.0。普通のスポーツ大会なら彼女の出番はここで終了ですが、彼女は本選に進みました。なぜなら、4点台の選手4人で本選を競うからです。SOの予選で落選する人はいません。予選はあくまでレベル分け。次の日、彼女は今度は最後まで演技をやり遂げ、みごと4点台の銀メダルを手にしました。
結果を評価されることに慣れている私達にとっては、特殊な世界に見えるかもしれません。ですが、一度失敗しても、次のチャンスを与えられる。昨日の自分に勝つということを目指すというSOの考え方を、熱を込めて語る細川氏の講演に、心を動かされたという方もいらっしゃったのではないでしょうか。
■花も花なれ 人も人なれ
学生の頃、当時憧れていた「細川ガラシャ夫人」の劇を上演したのが、細川 佳代子氏と「細川家」の不思議な縁のはじまりです。当時はまさか自分がのちに細川家の一員になるとは思ってもみず、結婚した後に細川氏の歴史に触れるたび、その奥深さに驚いたといいます。
細川ガラシャは皆さまご存知の通り明智光秀の娘であり、細川忠興の正室です。本能寺の変のあと「逆臣の娘」となり、一時丹後国に幽閉されることとなります。このとき本能寺の変をいち早く細川忠興に伝えたのは早田道鬼斎という山伏ですが、彼はなんと丹後から播磨まで、65キロメートルの距離を3時間半で走りきったといわれています。細川氏は各地の修験道に援助を行い、それを情報源とすることで「情報の力」を手にし、その力で戦乱の世を長きにわたり生き抜いてきたのです。
ガラシャの幽閉された丹後国の味土野も修験道の近くであり、すぐに危険を察知できるように配慮されたとされています。
ガラシャはのちに壮絶な最期を遂げますが、辞世の句である「散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」は、細川氏の著書のタイトルとして使用され、その志は今も受け継がれています。
※細川氏の講演記録は今後の「エッサムファミリー会報」に掲載予定です。
後半に続きます(総会・大懇親パーティ)