第18回 株式会社にしき堂(広島県広島市)
お菓子、それは笑顔を作る食べ物― 遊び心を大切に、広島県トップシェアを誇る和菓子屋
広島に行く、となれば「お土産に…」と必ず頼まれるお菓子があります。もみじ饅頭です。一口食べれば、あら不思議、みんなが自然と笑顔になってしまいます。このお饅頭は、幼子からお年寄りまで、どうしてこうもたくさんの人に愛されるのでしょうか。今回は、そんな疑問を紐解くお話を、にしき堂代表取締役社長・大谷博国氏に伺いました。
▲お馴染みの紅葉マークがお出迎えします
■和菓子のこだわりは小豆から
―広島土産といえばにしき堂のもみじ饅頭は外せません。
社長:ありがとうございます。もみじ饅頭は主力商品ですが、私どもは饅頭屋ではなく和菓子屋です。和菓子屋のこだわりは、やはり素材にあります。それを守るからこそ美味しい饅頭が作れるのです。とくに、和菓子の決め手となる餡の素材「小豆」には一切妥協できません。小豆は連作に弱く、最低でも4年は異なる作物を育て土壌のバランスを整えなければなりません。よい小豆作りは“よい土づくり”に始まるのです。私どもの契約農家は、全国有数の豆の産地、北海道十勝音更町にあります。そこでは、8年に一回収穫する“八輪作”を厳守しています。また、私どもは必ず収穫前に、現地で豆のできを確認します。餡を炊く際、小豆のできによって砂糖や水の量など炊き方が変わるためです。その後、 “にしき堂用の小豆”として選別された小豆だけがにしき堂の餡になります。
■お菓子は笑顔を作る食べ物
―販売にも強い思い入れがあるそうですね。
社長:お菓子も日本一でありたいですが、販売でも日本一を目指しています。にしき堂のもみじ饅頭はお土産需要が高い商品です。弊社は広島駅の南側に店を創業した縁があり、駅で商売を発展させてきました。それゆえ、県内トップシェアを誇る広島名物になったのです。そのため、私どもはあるルールを守ってきました。それは「途中下車してでも、広島に来ないと買えないお饅頭」にすること。全国で売っていたら広島名物ではないのです。
―その一方、コラボ商品の展開は豊富ですね。
社長:コラボ商品は大好きです。マツダロードスターや劇団四季にゴジラと、コラボ商品が多く「遊びすぎでは」という声もあるでしょう。ですが、コラボ商品は私たち販売側だけでなく、お客様からも「次は何がでるかしら」と楽しんでもらえるもの。こうした「遊び心」は弊社のポリシーなのです。一昨年誕生した徳川宗家十九代徳川家広氏とのコラボ「葵もみじ」も大変話題を集めました。「徳川のお菓子を作りませんか」とは一驚を喫したお誘いでした。ただ、先ほど「県外では一切売らない」と話しましたが、このお菓子に限っては日光東照宮の日光物産フェアで期間限定販売したことがあります。やはり徳川将軍の命令には逆らえません(笑)
―お客様の楽しみを作ることがリピーターや新規顧客の増加に繋がっているのでしょうか。
社長:その通りです。そもそも、お菓子は嗜好品です。上生菓子など、お茶席のお菓子もありますが、本来は家族や友達との団らんの場、お世話になった方へのお礼など“楽しい”や“嬉しい”が生まれる場所にある「笑顔を作る食べ物」です。お客様はそれを求めて来店されます。ですから「笑顔で帰ってもらえる接客をすること」を心がけています。つねににっこりと、立ち姿美しくお客様をお迎えし、お客様一人ひとりの視点に合わせたおもてなしをする。そして、心から笑うからこそ出る笑声(えごえ)で接客すること、こうした販売研修を徹底しています。
▲数多くのオリジナル商品が並ぶ店内
■共存共栄ではなく競争共栄
―こうしたこだわりは、にしき堂様がトップを走り続けられる理由だと思います。
社長:もみじ饅頭を扱う会社は広島県内に約100社あると言われています。洋菓子店でも、もみじ饅頭を製造しているほどですが、みなさんとは飲みに行く間柄です。勝負は味ですればいい。ひとりの人に戻れば友達です。創業者の父はよく言いました「共存共栄という言葉があるが、同業者で共存共栄はありえない。競争共栄だ」互いに競い合って初めて繁栄があるのです。例えを挙げますと、もみじ饅頭も昔はこし餡の1種類だけでした。それが今やチーズ、チョコ餡まであります。それは各社が「我が社も何か新商品を作ってやれ」と励み、菓子の可能性を広げたから。そして、お客様に選ぶ楽しみが増え、業界への期待が高まったからこそ、今に繋がる市場の繁栄があるのです。
■広島の菓子文化を取り戻す
―競争共栄という意味でも、平成25年に広島で開催された全国菓子大博覧会はよい刺激になったのではないでしょうか。
社長:広島県での菓子博開催は、大正10年ぶりです。今、広島の菓子業界では、広島の菓子文化を再び取り戻したい気持ちが高まっていますから、皆、力を入れて臨みました。
じつは今でこそ小豆の主流は北海道ですが、小豆の生産が始まったのは明治維新以降、開拓団が出てからです。それ以前は、中国山地が主流でした。また、江戸時代には徳川吉宗が全国でサトウキビ栽培を奨励し、広島藩は苦労の末、砂糖の栽培に成功しました。そのため小豆と砂糖、両方を持つ広島では菓子の文化が栄えました。ところが明治維新で広島が軍都に変わると、広島のお菓子は日持ちがしてカロリーも高い羊羹に様変わりしました。さらに第二次世界大戦時の被爆で、戦前の菓子屋はほとんど全滅し、広島の菓子文化は完全に忘れ去られたのです。10年前の記録ですが、広島は全国でお菓子の消費量が下から八番目に少ない都市になりました。「これではいけない」と、県内の和洋菓子店が立ち上がり、私どもは今、広島の菓子文化を取り戻すため、一丸となっています。
■100年続く会社になろう
―最後に今後の展望をお聞かせください。
社長:日本で最初に饅頭を作ったのは南北朝時代の帰化人で、その子孫は今も塩瀬饅頭という饅頭を作っています。さらに、小豆の歴史を振り返りますと、小豆は縄文人の遺跡から見つかっています。日本人が餡子や和菓子を食べてとほっとするのも、祝いの場に必ず赤飯や紅白饅頭が出されるのも、縄文時代から小豆に親しみがあるからこそです。「日本人の生活に溶け込んだ食材」「古くから伝わるお菓子の文化」そういった背景を踏まえ、私は「100年続く会社になろう」そう皆に伝えています。100年続く会社を作りたい―それが我々の夢であり希望なのです。
―「お菓子は笑顔を作る食べ物」この言葉がとても印象に残っています。お菓子を食べて一緒に笑顔になりたい人の顔が浮かぶような、温かい気持ちになるお話でした。ありがとうございました。
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株式会社にしき堂
代表取締役社長 大谷 博国
設立 1951年(昭和26年)10月
所在地 広島県広島市東区光町1-13-23
TEL 0120-979-161
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川本泰清税理士事務所(顧問税理士事務所)
税理士 川本 泰清
(中国エッサムファミリー会 会長)
所在地 広島市南区松川町2-7-302
TEL 082-264-2221
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